B&Bに住みながら、なんとか屋根裏でもなんでも、パリ市内のアパルトマンを見つけられないものかと思っていた。
ぶっちゃけウンコ社長には何の力もないと悟った私は、自腹で、とにかく行ってみた。みたいなものだった。
月給15万円に、なるべく安めで住処は見つけろやという無言の圧。
その範疇でパリ市内に住もうというのは、無謀だった。
パリ市内を諦めて、郊外の1DKへ
そんなわけで、パリ郊外のやっすい1DKを見つけ出した。
その街は湖のほとりにあり、スパやカジノで有名なリゾート地で、素敵ではあった。
カジノで有名と言っても、ラスベガスのような賑やかさはなく、のどかな街だった。
パリから電車で10数分という立地も、パリブランドのバイヤーとして赴任した!という名目で強行した私には、なんとか許容範囲だったと言える。
語学が達者で、異国でひとり奮闘するパリ姉には、後に「それでもパリ市内にいるべきだったのでは?」とチクッと言われたが、ここに住んだのはよい思い出になった。
とっても短い期間だったがな!!!
スパにも行ってみたかったなぁ~。。。余裕なしでしたが。。。
フランスのスパ体験は、また別の機会に。
フランス赴任という名の、無謀な挑戦
強行突破したフランス赴任でしたが、ウンコ社長の募集要項で実際にフランスに赴任できた者は、後にも先にもいないでしょう。
ブランドや本業の調査を細々と進めていきはしたものの、やはり力のない会社。
というか、個人事業主であるウンコがバックでは、できることに限りがあるのは当たり前だった。
フランス支社と名乗りながら、実態はレンタルデスク。現地の人脈もなく、住む場所も自分で探す。
そんな状態で、海外事業を軌道に乗せようとしていたのだから、今考えても無茶な話である。
それでも人を信じたかった、あの頃の私
なのに、この時の私の無謀さは何だったのだろう。
自分の行動力、経験、そしてまだまだ自分と周りの人間に対して無防備に信じる若さがあったと思っている。
苦痛を伴う子供時代を経てもなお、私は人を信じたかった。
今でも、その当時でも、もっともっと苦しい時を過ごしていた人はいたと思う。
でも、その時の私は這いつくばるような底辺まで下がることを予想していなかった。
うん。一言で言って、若気の至りってやつだったんだろう。
ウンコ社長の価値観は、結局そこだったのか
女は若いのが一番。
鳥山明マンガに出てくるキモイ星人みたいな見た目で、ただひたすらエロイ目で見ている50代のウンコ社長。
そんなウンコ社長からしたら、30代に突入している私など、もう脱・女寸前くらいの目で見ていたのでしょうが😭
きっも💦
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